社会の新陳代謝を促すには
シンプルに考えて、時代にそぐわない老害的思考回路は、批判のメスの届かないところには、いつまでも膿の如く存在し続けるはずなんだよな。
社会の年齢層の重心が後退し続ける限り、若者の生きづらさが生まれ続けるのは当然の結果で、少子高齢化が必発すると予想された段階で、予防策(世代交代をスムーズに進める仕組み)は打っておくべきだったのに、何もかもがジリ貧なのは、やっぱり日本が好況という夢に浸り続けてきたからなんでしょうね。
あの高度経済成長すらも、結局は、1ドル360円の固定相場制が解除された後の、惰性的に続いた円安の恩恵に過ぎなかったんじゃないかという話だし、となるとこうなってしまったのは、戦直後から既に運命づけられていたことと言えるのかもな。
極期的に、あのバブルが起こったんじゃなくて、はなっから夢を見せられていたということよ。
もちろん、世界的に見ても稀だったかつての経済成長は、戦後の焼け野原から日本人が懸命に立ち上がってきた結果なんだという美談としても、ある程度は語られるべきなんだろうけど、それもこれも腐敗した軍部が結果的に自滅してくれたおかげで、思想の世代交代がスムーズに進んだのと、アメリカという外圧があったからこそ成立し得たことだと思うんだよね。
となると、これからはどうすべきなのかと言うと、やはり、自律的に世代交代が進むようなシステム作りと、批判という外圧は、何事も透明性が担保された上でしか力を発揮しないわけだから、国民の議論を引き出すような政府による積極的な情報開示が今後ますます必要になってくるんだと思う。
内輪だけでしか通用しないようなバランスを欠いた論理、そういう部分を起点にして集団の暴走というものは引こ起こされてきた。
患部を排膿するには、自壊を待つかエキスパートに切開してもらうか、はたまた、自分で押し潰すなりするしか手立てはないのだから、とにかく、内から外へと視野を広げるよう努力するか、または、外から内への言わば啓蒙を自ら求めるかするしか対応策はないのだと思う。